カテゴリー別アーカイブ: 旅日記

菊千代 旅日記/1

今年も旅好きな菊千代は可愛い3羽のインコを90歳の父に託し、旅のお仕事を色々お受けしています。まずは二月、弟子のちよりんから頼まれ、一緒に中国に行ってまいりました。
北京 日中国交回復30周年記念イベントとして、日本人学校(小学生低学年・高学年・中学生)と日本大使館での「北京早春寄席」。

トランジットで一泊はしたことがありましたが、三泊もしたのは初めてでした。空港や街並みに本当にびっくり、いまや中国は世界を支えているんだなあと感じました。テレビで見た漫才がみんな古典mの服を着てやっているのに違和感を覚え聞いてみると、中国の漫才は皆古典を引き継いでいるのだとか。これは風刺や、世情の情報拡散を防止する手段なのでしょうか。インターネットはウイチャットというものしか利用できなくなっており、その代わりそのアプリで、すべての買い物、乗り物などの支払いができてしまうという、便利なんだか、その代わり見張られてるんだか、という感じはしました。
まあ、日本も着実に同じような管理をされつつありますので、他人事とは言えませんね。しかし、なんといっても、中国は食べ物が美味しい、一晩目はなぜかイタリアン、二日目は本格中華、最後の夜はそれはそれは美味しい北京ダック、それぞれお迎えいただいた伊藤忠、日本大使館、北京日本人会の皆様からごちそうになって大満足。そして何よりも、日本人学校の生徒さんたちのかわいらしさと素直さにびっくり、大笑いしてくれる姿に涙が出るほど感動しました。子供たちの笑い転げる姿には先生方も驚いていました。

日本大使館での早春寄席にもたくさんの在留邦人の皆様と日本に精通している中国の方々がお越しくださり、楽しんでいただきました。一時ひどかった空気汚染もだいぶきれいになったようで、子供たちが表で遊ぶこともできるようです。マイナス8度という気温には驚きましたが、最終日の午前中、飛行機の時間まで時間があったので近くのショッピングモールまで散策、肌が切れるような寒さの中自由時間を楽しみました。往復の飛行機は協賛のJALさんのご厚意が半端ではないVIP待遇で、夢心地。親善事業ということに、それぞれ心からの対応をしていただいたので、ちよりんも私も大満足の旅でした。

菊千代 旅日記/2

<ニュージーランド>
中国から帰った三日後、ピースボートに途中乗船するためにニュージーランドのオークランドに向かいました。お船のスケジュール変更で思いがけず二泊フリータイムをいただき、オークランドのワイヘキ島に暮らしていらっしゃるピースボートのスタッフのお母様がお付き合いくださって、フェリーに乗ってデボンポートまで行ったり、スーパーのはしごをしたり、楽しい時間を過ごしました。船と合流し、出航までの時間、スタッフとまた楽しくオークランドの街を徘徊しました。ニュージーランドは、日本人、韓国人そして中国人が多く留学生もたくさんいるので、テイクアウトのお寿司屋さんや、丼物のお店、そして焼肉屋さんなど入りやすそうなお店も多いですが、入ってみるとお店の人は中国人、または韓国人でした。船まで送ってくださった、旅行代理店の方が「いやー、今どき日本人は、このニュージーランドで、朝早くから生もの仕入れて水仕事してなんていう大変な仕事をやろうとはしませんよ」とおっしゃっていました。

<ニューカレドニア>
やはり途中乗船のため以前来たことのあるニューカレドニアに寄港、軍事評論家の前田哲男さんの葉巻探しにお付き合いし、お洒落なレストランでランチ、サーブしてくれた女性のお子さんは四月から日本に就職の研修に行くと言っていました。広いお店を一人で働きまわり、夜は違うところで働いているという元気一杯の女性でした。どの国でも母は強しですね。

アウンスティン山の平和記念碑 お客様が法衣持参でお念仏を。 浄土真宗のお坊さんのようです。

●ソロモン諸島ガダルカナル島
初めてのガダルカナル島、これはぜひ戦績を巡らなければとツアーを取りました。中国のマイナス八度からイッキに二〇度以上のところをめぐって、この島はほとんど太陽が真上、、暑い最中に平均年齢は70歳くらいでしょうか、「アウンスティン山の平和記念碑、血染めの丘、ヘンダーソン飛行場と巡るオプショナルツアーを選んだ方々は皆元気、比較的若めな私はダウン気味でした。飛行場では私たちのためにガイドをかって出てくださった現地の方の「日本人がこの空港を作ってくれたんですよ」という説明に、けれどもこの空港を作ったからこそ、連合軍との基地、島の奪い合いが始まったという悲惨な歴史を改めて確認しました。

●パプアニューギニア島 ラバウル
三度目のラバウル、私はこの島の方々が大好きです。日本の占領、連合軍との戦地とされ、その後ドイツ、オーストラリアと、統治が変わり、それに加えて火山の噴火に度々見舞われ。どう考えても苦難の歴史を繰り返した、私の目には踏んだり蹴ったりされた人達、なのに、なんという人の好さなのか。スピードを出している車の窓にさえ手を振ってくれる。すれ違えば必ず挨拶する。強面のおじさんも小さな子供もみなにこやかな笑顔を見せてくれる所です。
火山が静まり落ち着きを見せた穏やかな景色に私も安心しましたが、前田哲夫さんとともに戦跡博物館に行く途中の道のガタガタと山肌のところどころにある戦時中掘られた防空壕がその歴史を物語っていました。三度目にして始めて行った博物館の庭には、戦争の残した大きな残骸が置かれ、その数々はそこに散っていった若者たちの悲しみやむなしさを感じるものばかりでした。船のそばで歓迎の踊りを披露してくれた人たちとのショットをご披露します。かなりドキドキでした。

船内
ピースボートは、長期短期、含めて二九回目の乗船となりましたが、今回は年配のお客様が九割というガラッと変わった雰囲気で、安心感と落ち着きが漂う船内でした。いつものようにお弟子さんを募集、二九名が集まり、一門名は「オセアニ家」。特訓に特訓を重ね、見事な一門発表会をいたしました。また、手話を勉強している方々も多かったので、中島みゆきの「糸」を手話コーラスで、という企画をして最後の自主企画発表会でご披露、これも好評でした。ピースボートは全国のお客様とのご縁を作るチャンス、落語の良さを知ってもらうチャンス、そして私自身が視野を広げられるチャンスです。状況が許す限り、もちろん求められる限り乗船したいです。

菊千代 旅日記/3 最後に、おねがい!

皆さん、日本を戦争のできる国にしないでください。憲法9条を変えないでください。3項に自衛隊を明記するならいいじゃないかなんて思わないでください。世界を見てください。誰が戦争をしたいのか、戦争を避けたいのかよく見てください。日本がどんどんおかしくなっていることを感じてください。

福島の原発の事故が収まっている、人々は落ち着いている、東北や九州の災害に遭われた方々が復興に満足しているなんて思わないでください。原発がなきゃ電気はどうするんだという前に、原発事故になったらどうするんだということを考えて下さい。

沖縄の人たちの気持ちを考えてください。基地が自然を壊していくこと、沖縄の海が好きな人は良く考えてください。アメリカ軍と自衛隊が合同演習をしている意味を考えてください。守るためだろうが責めるためだろうが戦争は戦争です、戦争になったら苦しむのは私たちです。まさか、これからそんなことがなんて思わないでください。いざとなったら言いたいことが言えなくなります、着実に準備が始まっていることを感じてください。

憲法は私たちのもの、政治は生活のことです。

ホセ・ムヒカ前ウルグアイ大統領 訪船記念スピーチ

ようこそウルグアイへ

ここには350万の人がいて牛の数はその4倍です。人口は少ないですが南米で最も公平な国だと言えます。…中略…100年前から教育を公的機関が行っており決して完全ではありませんが差別や人権問題も少ない国です。…これからの未来の世代に向けて今この地球の自然を守ることお互いの紛争をなくすことは私たちの責務です。

テクノロジーの爆発と消費主義により世界中で苦しみ、戦争で亡くなっているのは一番貧困な立場にある人たちです。(大統領だったのに質素な暮らしをしている)私と妻は「変わっている」と言われますが誰よりも思っていることは物をたくさん持たずにシンプルな人生を送りたいということ、それは人生を愛しているからです。命を大切にするということは時間を大切にするということ、人生の時間はスーパーでは買えません。お金で物を買うときは、あなたの人生を使ったお金を使って生まれさせたお金を払っているのです。

そのお金に惑わされないでください。お金を使いすぎると人生の時間が無くなってしまいます。…私たちの闘いは時間を持ちその時間で互いの気持ちを確かめ合うためのものなのです。…世界の人々はみな兄弟なのです。黒人、白人、黄色人種…関係なく、あるのは一つ、人間であるということだけです。

人に受け入れられるためだけに生きるのではなく自分の思うことをやってみてください。
SDGs(国連の持続可能な開発目標)の達成のため頑張ってください。

皆さん本当にありがとう。

菊千代長旅日記

2017年も、早や3月、皆様どのようにお過ごしでしょうか?昨年暮れには、いつものことながら発行遅れ気味の菊千代こよみを二ページだてにてお送りしましたことを心よりお詫び申し上げます。
言いたいこと、知っていただきたいことがいっぱいあるのに筆先は鈍るばかりで、自分の不器用さに腹が立ちます。気を取り直して今回は、1月19日から始まりました、ピースボートの旅のお話をさせていただきます。

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10年振りを忘れてしまったような嬉しい再会、真ん中の古木さんはじめ懐かしい皆様方の前で「桃太郎」と「松山鏡」を口演させていただきました。

ピースボートとのかかわり

しばらく長期での乗船は無かったのですが、今回はブラジルの日系の皆様のところに行けるというお話をいただいたので決心いたしました。初めてピースボートからお声をかけていただいたのが2000年、ブラジルの日系の方々が落語を聞きたいとおっしゃっているので乗ってみないかと言われ、そんな噺家冥利に尽きることはないとお受けしました。その前にショートクルーズを経験してみないかと「朝鮮民主主義人民共和国」への船旅に誘っていただきました。それから17年、おかげさまでかの国には三回、そしてブラジルの日系の方々には何回も落語を聞いていただき、途中乗船、下船する間の国では様々な情景を見て、そして船内ではたくさんのお客様と知り合うことができ、同じくゲストで乗られている通常知り合うことのないだろう方々と仲良しになることもできました。

恥ずかしながら、世界や、日本の歴史、現実の細かなことをほとんど知らなかった私は、おかげさまで、色々な事を知り、感じ、まだまだ浅いですが物事を考えるようになりました。ピースボートには心から感謝しています。一時、そのご縁と楽しさに、ずいぶん乗船させていただき、日本を留守にすることも多かったので、このところは長旅は自重しておりましたが、久々のブラジルのお話でしたので、乗せていただくことにしました。そしてこれで最後になるという南極クルーズも楽しみながら、なんと52名の船内お弟子さんに落語のワークショップを開催し、見事な発表会もできました。

久し振りの長期乗船に加え、ブラジルリオデジャネイロまでの一人旅、わがままを言って帰りのチリのパルパライソからの空路もアメリカを避けてもらったので、少し楽でしたが、行きも帰りの席も通路側指定が通らず、還暦を超えた私としてはちょっと辛かったです。
やっとこさでリオデジャネイロに到着、昨年のオリンピックのおかげで大きくきれいになった空港にびっくり。そして、ホテルに連れて行ってもらい、昼食はボリュームたっぷりのシェラスコ(サラダバーには色々な物がありそれとは別に様々な種類のお肉が出てくるというブラジルの代表的なお食事)をいただき、夜は機内食でもらったミニカップ麺で就寝しました。けれども、夜中にホテルの目の前のクラブの騒音に目覚め、映画に出てくるようなブラジルの夜の世界を窓から眺めました。
翌日は寄港したての船にチェックインしてすぐにツアーバスに、一路フンシャルに向かいました。まさに私のピースボートのルーツともいえるフンシャルの日系の方たちとの再会、何せ十年ぶりですから、覚えていただいているか心配でしたが、「覚えてますか?」の一言を先に言われてしまいました。秋田から他の皆さんとは違った経路で移住された古木三衛門さんをはじめ、お顔を見れば懐かしい方々、皆さんお元気そうで色々とお話しすることができ、落語も笑ってもらい、つい「また来ます!」と言ってお別れしてきました。

夜はお船でリオの日系の方々との会食に参加させてもらい、しっかり覚えていただいていてまたもや感激、十年ぶりの玉すだれをご披露しました。
リオを出港して翌日はさっそく顔見世落語会、お弟子さん募集と、船内活動の始まりです。年配のお様が多いこと、また気楽に楽しめる企画が少なかったこともあってか、落語会はとても喜んでいただきました。集まったお弟子さんはなんと五十二名、どうなることやらとドキドキしましたが、皆さんとてもまじめで、努力の塊のような方々でした。私の落語教室に入ることを乗船前から決めていたという若い女の子もいて、またもや嬉し涙です。

ウルグアイのモンテビデオというところに入港した際には、なんとムヒカ元大統領が訪船、世界一貧しい大統領を見るために観光もそこそこにみんな船に戻ってきました。
アルゼンチンの、ブェノスアイレスも懐かしの地、ピースボート以外にも日系の方々に落語をするために伺っているのでちょっと知ったかぶりしながらスタッフの千代ベーちゃんとフロリダ通りやボカ地区に繰り出しました。アルゼンチンは本当に素敵です、ワインも美味しい!
引き続きの船内生活では手話落語の会、そして9条企画もさせていただき、そのおかげでいろいろな方から声をかけていただくようになりました。私がいつも手話の説明や小咄をするときに「幸せなら手をたたこう」も手話で唄うのですが、何と作者の木村利人先生が乗っていらっしゃり、びっくり、感謝されてしまいました。恐縮です。私ほど色々なところでこの歌を歌っている噺家はいません!

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ウシュアイヤで買った赤い革の帽子で私も度々出陣、デッキで逢うとみんな誰だかわかりません。

地球最南端のウシュアイヤの街はしっかり独り歩きし、無事帰船。そして船は南極大陸に向かって出航しました。私たちは上陸はしませんが、スリル満点の氷山の合間を縫って、クジラやペンギン、氷河を見ながらの遊覧です。朝の4時頃でも「氷山があります!、クジラがいます!」などの放送があるたびに皆さん温かい恰好をしてデッキに走ります。決死隊です。本当に南極は空気がきれいなので寒くても息が白くならないんです。知っていましたか?

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夢見亭一門、発表会終了!みな晴れ晴れとしたお顔。

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私がいない方が元気?

南極遊覧も終わり本格的スパルタ稽古が始まり、船内お弟子さんは一生懸命でした。ご自身が自主企画を主宰されていたり、ほかの高座を受けていたりと皆さん大忙しの中、大喜利メンバー八人、かっぽれメンバー10人、リレー落語や小咄メンバー30人、寄席文字もどきメンバーもでき、チリのパルパライソでの私の最終下船前日に素晴らしい発表会ができました。私の下船後も落語クラブを作ってまた発表会をします!と張り切っていた方もいましたが、どうなったことでしょう。落語ファンや、話すことの楽しさを覚えた人が一人でも増えてくれていればと、帰りの30時間の空旅もルンルンでした。

今回の長旅に際し、88歳の父は毎日自転車でうちのインコの面倒を見に通ってくれました。心より感謝です。私の留守中寂しがってご飯を食べないんじゃないかと心配した末っ子のオカメインコの桃太はしっかり太って待っていてくれました。

菊千代 旅日記

3月23~29日

●ピースボートショートクルーズに参加し石垣島から乗り台湾、那覇と寄港し博多で降りました。
今回はスタッフ大喜利と、子供たちに何か教えるというお仕事が課せられていましたが、寄港地中は自由なので私もツアーを選び参加してきました。
台湾では台北の郊外にある景美国家人権博物館[白色テロ時代の監獄跡]を実際に投獄されていた方々の案内で見学し、その当時の経緯や体験談を伺いました。白色テロとは、為政者や権力者、反革命側(君主国家の為政者あるいは保守派)によって政治的敵対勢力に対して行われる暴力的な直接行動のことだそうで、私は初めて知った言葉でしたが、日本も戦前、戦中そんなことがされていた時代があったわけだし、これからこのまま安倍さんの暴走が許されるようなことがあったら決して他人ごとではない話だと思いました。
ウィキペディアで「白色テロ」を調べたら「国家組織及び権力を是認して行われる不当逮捕や言論統制などがある」とありましたから今の日本でも実際あり得る話です。日本が敗戦後の1945年8月、連合国による委託管理として台湾駐留を任された蒋介石の軍隊が入って来て、台湾の人たちが「日本が戦敗して、祖国の軍隊が戻って来た。これからは自分達も、もう植民地の人間ではなくて、一国の国民になるのだ」と喜んで歓迎したのに、逆に中国大陸の軍隊は台湾人に対して大量殺戮や非人道的な鎮圧をしたそうです。そして台湾のリーダー級の人物を抹殺するため「台湾に潜入している共産党員を撲滅する」と言う名目で無差別な拉致、監禁、拷問、銃殺等をしたのです。お話をしてくださった方々は高齢を押して昨日の事のように詳しく、涙をためてお話ししてくれました。
道を案内してくれと車までついて行ったところで拉致されそれから二十三年間うちに帰れなかった方、爆撃犯人と疑われ、マレーシアから留学していたのにそのまま拉致され、拷問され、結局解放された後も国に帰ることが許されなかった方、高校生だったのに、疑われ家で逮捕され、そのまま投獄されてしまった方。その監獄での劣悪な拘置状況や、いつ処刑されるかわからないという恐怖の中で暮らされていたお話は聞きしに勝るものでした。私も台湾の戒厳令の時代は記憶にありましたが、詳しいことは知りませんでした。私の叔母は台湾の人と結婚していましたから、義理の叔父もいろいろ苦労したんだろうなあと思いました。お部屋に記録された処刑者のメモリアルの中に私の生まれた1956年7月24日に3人処刑された方の名前があったのはショックでした。

●那覇では四回目になりますが辺野古に行きました。
キャンプ・シュワブのゲートの前でテントを張って抗議している方々への応援と抗議行動参加のためです。一回目、やはりピースボートのツアーで行ったのでしたが、韓国の方たちと一緒でした。
当時は海岸べりのところで、テントを張っていて一番長老の金城さんという方が私たち日本人には目もくれず「あなたたちと沖縄人は同じ、自分の土地をよその国の基地にされて苦しめられている、私たちは思いが共有できるねえ」と韓国の人たちにおっしゃってるのを聞いて、悲しくて帰りのバスの中で大泣きしました。他人事のように、都合の良い時だけ沖縄で楽しんで、基地については知らん顔している、そんな風な人だと思われたくない!心から思いました。今、沖縄で基地があるから仕事が潤っているという人は5パーセントほどだと伺いました。基地を無くし、観光施設の充実を図った方がよっぽど島は潤うと、辺野古のある大浦湾を世界遺産にとがんばっている東恩納さんは言っていました。

本当に美しい海です。
普天間の人たちは基地を移設してほしいんじゃありません、無くしてほしいんです。

聞けば、もともとの計画として初めに辺野古の海上基地計画があり、それが出来れば普天間がいらなくなるということだったのだそうです。日本と米軍とのやり取りの資料を取り寄せ解読し事実に迫って戦っている真喜志さんは「沖縄の方言で嘘のことをユクシーというんだよ、だから安倍さんたちが使ってる『抑止力』という言葉は『ヨクシ』ではなく『ユクシー』力だね」とおっしゃっていました。
あえてこの菊千代ごよみで書かせていただくのは沖縄の人たちだけの問題ではない、政治の話ではない、生活の問題、自然破壊の問題だからです。みんなでできる限りの声を上げるべきだと思います。沖縄の人たちは近くに原発が無くても、基地問題と同じだねと反対の声を上げてくれるのに、内地の人間は冷たいです。

普天間