菊千代 旅日記/2

<ニュージーランド>
中国から帰った三日後、ピースボートに途中乗船するためにニュージーランドのオークランドに向かいました。お船のスケジュール変更で思いがけず二泊フリータイムをいただき、オークランドのワイヘキ島に暮らしていらっしゃるピースボートのスタッフのお母様がお付き合いくださって、フェリーに乗ってデボンポートまで行ったり、スーパーのはしごをしたり、楽しい時間を過ごしました。船と合流し、出航までの時間、スタッフとまた楽しくオークランドの街を徘徊しました。ニュージーランドは、日本人、韓国人そして中国人が多く留学生もたくさんいるので、テイクアウトのお寿司屋さんや、丼物のお店、そして焼肉屋さんなど入りやすそうなお店も多いですが、入ってみるとお店の人は中国人、または韓国人でした。船まで送ってくださった、旅行代理店の方が「いやー、今どき日本人は、このニュージーランドで、朝早くから生もの仕入れて水仕事してなんていう大変な仕事をやろうとはしませんよ」とおっしゃっていました。

<ニューカレドニア>
やはり途中乗船のため以前来たことのあるニューカレドニアに寄港、軍事評論家の前田哲男さんの葉巻探しにお付き合いし、お洒落なレストランでランチ、サーブしてくれた女性のお子さんは四月から日本に就職の研修に行くと言っていました。広いお店を一人で働きまわり、夜は違うところで働いているという元気一杯の女性でした。どの国でも母は強しですね。

アウンスティン山の平和記念碑 お客様が法衣持参でお念仏を。 浄土真宗のお坊さんのようです。

●ソロモン諸島ガダルカナル島
初めてのガダルカナル島、これはぜひ戦績を巡らなければとツアーを取りました。中国のマイナス八度からイッキに二〇度以上のところをめぐって、この島はほとんど太陽が真上、、暑い最中に平均年齢は70歳くらいでしょうか、「アウンスティン山の平和記念碑、血染めの丘、ヘンダーソン飛行場と巡るオプショナルツアーを選んだ方々は皆元気、比較的若めな私はダウン気味でした。飛行場では私たちのためにガイドをかって出てくださった現地の方の「日本人がこの空港を作ってくれたんですよ」という説明に、けれどもこの空港を作ったからこそ、連合軍との基地、島の奪い合いが始まったという悲惨な歴史を改めて確認しました。

●パプアニューギニア島 ラバウル
三度目のラバウル、私はこの島の方々が大好きです。日本の占領、連合軍との戦地とされ、その後ドイツ、オーストラリアと、統治が変わり、それに加えて火山の噴火に度々見舞われ。どう考えても苦難の歴史を繰り返した、私の目には踏んだり蹴ったりされた人達、なのに、なんという人の好さなのか。スピードを出している車の窓にさえ手を振ってくれる。すれ違えば必ず挨拶する。強面のおじさんも小さな子供もみなにこやかな笑顔を見せてくれる所です。
火山が静まり落ち着きを見せた穏やかな景色に私も安心しましたが、前田哲夫さんとともに戦跡博物館に行く途中の道のガタガタと山肌のところどころにある戦時中掘られた防空壕がその歴史を物語っていました。三度目にして始めて行った博物館の庭には、戦争の残した大きな残骸が置かれ、その数々はそこに散っていった若者たちの悲しみやむなしさを感じるものばかりでした。船のそばで歓迎の踊りを披露してくれた人たちとのショットをご披露します。かなりドキドキでした。

船内
ピースボートは、長期短期、含めて二九回目の乗船となりましたが、今回は年配のお客様が九割というガラッと変わった雰囲気で、安心感と落ち着きが漂う船内でした。いつものようにお弟子さんを募集、二九名が集まり、一門名は「オセアニ家」。特訓に特訓を重ね、見事な一門発表会をいたしました。また、手話を勉強している方々も多かったので、中島みゆきの「糸」を手話コーラスで、という企画をして最後の自主企画発表会でご披露、これも好評でした。ピースボートは全国のお客様とのご縁を作るチャンス、落語の良さを知ってもらうチャンス、そして私自身が視野を広げられるチャンスです。状況が許す限り、もちろん求められる限り乗船したいです。