月別アーカイブ: 2018年4月

菊千代 旅日記/1

今年も旅好きな菊千代は可愛い3羽のインコを90歳の父に託し、旅のお仕事を色々お受けしています。まずは二月、弟子のちよりんから頼まれ、一緒に中国に行ってまいりました。
北京 日中国交回復30周年記念イベントとして、日本人学校(小学生低学年・高学年・中学生)と日本大使館での「北京早春寄席」。

トランジットで一泊はしたことがありましたが、三泊もしたのは初めてでした。空港や街並みに本当にびっくり、いまや中国は世界を支えているんだなあと感じました。テレビで見た漫才がみんな古典mの服を着てやっているのに違和感を覚え聞いてみると、中国の漫才は皆古典を引き継いでいるのだとか。これは風刺や、世情の情報拡散を防止する手段なのでしょうか。インターネットはウイチャットというものしか利用できなくなっており、その代わりそのアプリで、すべての買い物、乗り物などの支払いができてしまうという、便利なんだか、その代わり見張られてるんだか、という感じはしました。
まあ、日本も着実に同じような管理をされつつありますので、他人事とは言えませんね。しかし、なんといっても、中国は食べ物が美味しい、一晩目はなぜかイタリアン、二日目は本格中華、最後の夜はそれはそれは美味しい北京ダック、それぞれお迎えいただいた伊藤忠、日本大使館、北京日本人会の皆様からごちそうになって大満足。そして何よりも、日本人学校の生徒さんたちのかわいらしさと素直さにびっくり、大笑いしてくれる姿に涙が出るほど感動しました。子供たちの笑い転げる姿には先生方も驚いていました。

日本大使館での早春寄席にもたくさんの在留邦人の皆様と日本に精通している中国の方々がお越しくださり、楽しんでいただきました。一時ひどかった空気汚染もだいぶきれいになったようで、子供たちが表で遊ぶこともできるようです。マイナス8度という気温には驚きましたが、最終日の午前中、飛行機の時間まで時間があったので近くのショッピングモールまで散策、肌が切れるような寒さの中自由時間を楽しみました。往復の飛行機は協賛のJALさんのご厚意が半端ではないVIP待遇で、夢心地。親善事業ということに、それぞれ心からの対応をしていただいたので、ちよりんも私も大満足の旅でした。

菊千代 旅日記/2

<ニュージーランド>
中国から帰った三日後、ピースボートに途中乗船するためにニュージーランドのオークランドに向かいました。お船のスケジュール変更で思いがけず二泊フリータイムをいただき、オークランドのワイヘキ島に暮らしていらっしゃるピースボートのスタッフのお母様がお付き合いくださって、フェリーに乗ってデボンポートまで行ったり、スーパーのはしごをしたり、楽しい時間を過ごしました。船と合流し、出航までの時間、スタッフとまた楽しくオークランドの街を徘徊しました。ニュージーランドは、日本人、韓国人そして中国人が多く留学生もたくさんいるので、テイクアウトのお寿司屋さんや、丼物のお店、そして焼肉屋さんなど入りやすそうなお店も多いですが、入ってみるとお店の人は中国人、または韓国人でした。船まで送ってくださった、旅行代理店の方が「いやー、今どき日本人は、このニュージーランドで、朝早くから生もの仕入れて水仕事してなんていう大変な仕事をやろうとはしませんよ」とおっしゃっていました。

<ニューカレドニア>
やはり途中乗船のため以前来たことのあるニューカレドニアに寄港、軍事評論家の前田哲男さんの葉巻探しにお付き合いし、お洒落なレストランでランチ、サーブしてくれた女性のお子さんは四月から日本に就職の研修に行くと言っていました。広いお店を一人で働きまわり、夜は違うところで働いているという元気一杯の女性でした。どの国でも母は強しですね。

アウンスティン山の平和記念碑 お客様が法衣持参でお念仏を。 浄土真宗のお坊さんのようです。

●ソロモン諸島ガダルカナル島
初めてのガダルカナル島、これはぜひ戦績を巡らなければとツアーを取りました。中国のマイナス八度からイッキに二〇度以上のところをめぐって、この島はほとんど太陽が真上、、暑い最中に平均年齢は70歳くらいでしょうか、「アウンスティン山の平和記念碑、血染めの丘、ヘンダーソン飛行場と巡るオプショナルツアーを選んだ方々は皆元気、比較的若めな私はダウン気味でした。飛行場では私たちのためにガイドをかって出てくださった現地の方の「日本人がこの空港を作ってくれたんですよ」という説明に、けれどもこの空港を作ったからこそ、連合軍との基地、島の奪い合いが始まったという悲惨な歴史を改めて確認しました。

●パプアニューギニア島 ラバウル
三度目のラバウル、私はこの島の方々が大好きです。日本の占領、連合軍との戦地とされ、その後ドイツ、オーストラリアと、統治が変わり、それに加えて火山の噴火に度々見舞われ。どう考えても苦難の歴史を繰り返した、私の目には踏んだり蹴ったりされた人達、なのに、なんという人の好さなのか。スピードを出している車の窓にさえ手を振ってくれる。すれ違えば必ず挨拶する。強面のおじさんも小さな子供もみなにこやかな笑顔を見せてくれる所です。
火山が静まり落ち着きを見せた穏やかな景色に私も安心しましたが、前田哲夫さんとともに戦跡博物館に行く途中の道のガタガタと山肌のところどころにある戦時中掘られた防空壕がその歴史を物語っていました。三度目にして始めて行った博物館の庭には、戦争の残した大きな残骸が置かれ、その数々はそこに散っていった若者たちの悲しみやむなしさを感じるものばかりでした。船のそばで歓迎の踊りを披露してくれた人たちとのショットをご披露します。かなりドキドキでした。

船内
ピースボートは、長期短期、含めて二九回目の乗船となりましたが、今回は年配のお客様が九割というガラッと変わった雰囲気で、安心感と落ち着きが漂う船内でした。いつものようにお弟子さんを募集、二九名が集まり、一門名は「オセアニ家」。特訓に特訓を重ね、見事な一門発表会をいたしました。また、手話を勉強している方々も多かったので、中島みゆきの「糸」を手話コーラスで、という企画をして最後の自主企画発表会でご披露、これも好評でした。ピースボートは全国のお客様とのご縁を作るチャンス、落語の良さを知ってもらうチャンス、そして私自身が視野を広げられるチャンスです。状況が許す限り、もちろん求められる限り乗船したいです。

菊千代 旅日記/3 最後に、おねがい!

皆さん、日本を戦争のできる国にしないでください。憲法9条を変えないでください。3項に自衛隊を明記するならいいじゃないかなんて思わないでください。世界を見てください。誰が戦争をしたいのか、戦争を避けたいのかよく見てください。日本がどんどんおかしくなっていることを感じてください。

福島の原発の事故が収まっている、人々は落ち着いている、東北や九州の災害に遭われた方々が復興に満足しているなんて思わないでください。原発がなきゃ電気はどうするんだという前に、原発事故になったらどうするんだということを考えて下さい。

沖縄の人たちの気持ちを考えてください。基地が自然を壊していくこと、沖縄の海が好きな人は良く考えてください。アメリカ軍と自衛隊が合同演習をしている意味を考えてください。守るためだろうが責めるためだろうが戦争は戦争です、戦争になったら苦しむのは私たちです。まさか、これからそんなことがなんて思わないでください。いざとなったら言いたいことが言えなくなります、着実に準備が始まっていることを感じてください。

憲法は私たちのもの、政治は生活のことです。