菊千代長旅日記

2017年も、早や3月、皆様どのようにお過ごしでしょうか?昨年暮れには、いつものことながら発行遅れ気味の菊千代こよみを二ページだてにてお送りしましたことを心よりお詫び申し上げます。
言いたいこと、知っていただきたいことがいっぱいあるのに筆先は鈍るばかりで、自分の不器用さに腹が立ちます。気を取り直して今回は、1月19日から始まりました、ピースボートの旅のお話をさせていただきます。

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10年振りを忘れてしまったような嬉しい再会、真ん中の古木さんはじめ懐かしい皆様方の前で「桃太郎」と「松山鏡」を口演させていただきました。

ピースボートとのかかわり

しばらく長期での乗船は無かったのですが、今回はブラジルの日系の皆様のところに行けるというお話をいただいたので決心いたしました。初めてピースボートからお声をかけていただいたのが2000年、ブラジルの日系の方々が落語を聞きたいとおっしゃっているので乗ってみないかと言われ、そんな噺家冥利に尽きることはないとお受けしました。その前にショートクルーズを経験してみないかと「朝鮮民主主義人民共和国」への船旅に誘っていただきました。それから17年、おかげさまでかの国には三回、そしてブラジルの日系の方々には何回も落語を聞いていただき、途中乗船、下船する間の国では様々な情景を見て、そして船内ではたくさんのお客様と知り合うことができ、同じくゲストで乗られている通常知り合うことのないだろう方々と仲良しになることもできました。

恥ずかしながら、世界や、日本の歴史、現実の細かなことをほとんど知らなかった私は、おかげさまで、色々な事を知り、感じ、まだまだ浅いですが物事を考えるようになりました。ピースボートには心から感謝しています。一時、そのご縁と楽しさに、ずいぶん乗船させていただき、日本を留守にすることも多かったので、このところは長旅は自重しておりましたが、久々のブラジルのお話でしたので、乗せていただくことにしました。そしてこれで最後になるという南極クルーズも楽しみながら、なんと52名の船内お弟子さんに落語のワークショップを開催し、見事な発表会もできました。

久し振りの長期乗船に加え、ブラジルリオデジャネイロまでの一人旅、わがままを言って帰りのチリのパルパライソからの空路もアメリカを避けてもらったので、少し楽でしたが、行きも帰りの席も通路側指定が通らず、還暦を超えた私としてはちょっと辛かったです。
やっとこさでリオデジャネイロに到着、昨年のオリンピックのおかげで大きくきれいになった空港にびっくり。そして、ホテルに連れて行ってもらい、昼食はボリュームたっぷりのシェラスコ(サラダバーには色々な物がありそれとは別に様々な種類のお肉が出てくるというブラジルの代表的なお食事)をいただき、夜は機内食でもらったミニカップ麺で就寝しました。けれども、夜中にホテルの目の前のクラブの騒音に目覚め、映画に出てくるようなブラジルの夜の世界を窓から眺めました。
翌日は寄港したての船にチェックインしてすぐにツアーバスに、一路フンシャルに向かいました。まさに私のピースボートのルーツともいえるフンシャルの日系の方たちとの再会、何せ十年ぶりですから、覚えていただいているか心配でしたが、「覚えてますか?」の一言を先に言われてしまいました。秋田から他の皆さんとは違った経路で移住された古木三衛門さんをはじめ、お顔を見れば懐かしい方々、皆さんお元気そうで色々とお話しすることができ、落語も笑ってもらい、つい「また来ます!」と言ってお別れしてきました。

夜はお船でリオの日系の方々との会食に参加させてもらい、しっかり覚えていただいていてまたもや感激、十年ぶりの玉すだれをご披露しました。
リオを出港して翌日はさっそく顔見世落語会、お弟子さん募集と、船内活動の始まりです。年配のお様が多いこと、また気楽に楽しめる企画が少なかったこともあってか、落語会はとても喜んでいただきました。集まったお弟子さんはなんと五十二名、どうなることやらとドキドキしましたが、皆さんとてもまじめで、努力の塊のような方々でした。私の落語教室に入ることを乗船前から決めていたという若い女の子もいて、またもや嬉し涙です。

ウルグアイのモンテビデオというところに入港した際には、なんとムヒカ元大統領が訪船、世界一貧しい大統領を見るために観光もそこそこにみんな船に戻ってきました。
アルゼンチンの、ブェノスアイレスも懐かしの地、ピースボート以外にも日系の方々に落語をするために伺っているのでちょっと知ったかぶりしながらスタッフの千代ベーちゃんとフロリダ通りやボカ地区に繰り出しました。アルゼンチンは本当に素敵です、ワインも美味しい!
引き続きの船内生活では手話落語の会、そして9条企画もさせていただき、そのおかげでいろいろな方から声をかけていただくようになりました。私がいつも手話の説明や小咄をするときに「幸せなら手をたたこう」も手話で唄うのですが、何と作者の木村利人先生が乗っていらっしゃり、びっくり、感謝されてしまいました。恐縮です。私ほど色々なところでこの歌を歌っている噺家はいません!

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ウシュアイヤで買った赤い革の帽子で私も度々出陣、デッキで逢うとみんな誰だかわかりません。

地球最南端のウシュアイヤの街はしっかり独り歩きし、無事帰船。そして船は南極大陸に向かって出航しました。私たちは上陸はしませんが、スリル満点の氷山の合間を縫って、クジラやペンギン、氷河を見ながらの遊覧です。朝の4時頃でも「氷山があります!、クジラがいます!」などの放送があるたびに皆さん温かい恰好をしてデッキに走ります。決死隊です。本当に南極は空気がきれいなので寒くても息が白くならないんです。知っていましたか?

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夢見亭一門、発表会終了!みな晴れ晴れとしたお顔。

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私がいない方が元気?

南極遊覧も終わり本格的スパルタ稽古が始まり、船内お弟子さんは一生懸命でした。ご自身が自主企画を主宰されていたり、ほかの高座を受けていたりと皆さん大忙しの中、大喜利メンバー八人、かっぽれメンバー10人、リレー落語や小咄メンバー30人、寄席文字もどきメンバーもでき、チリのパルパライソでの私の最終下船前日に素晴らしい発表会ができました。私の下船後も落語クラブを作ってまた発表会をします!と張り切っていた方もいましたが、どうなったことでしょう。落語ファンや、話すことの楽しさを覚えた人が一人でも増えてくれていればと、帰りの30時間の空旅もルンルンでした。

今回の長旅に際し、88歳の父は毎日自転車でうちのインコの面倒を見に通ってくれました。心より感謝です。私の留守中寂しがってご飯を食べないんじゃないかと心配した末っ子のオカメインコの桃太はしっかり太って待っていてくれました。