15年振りの中学同級会

菊千代は東京都板橋区成増の生まれ、すぐに父の仕事の都合で大阪のなかもずというところに引っ越し育ちました。母の好みでカソリックの幼稚園から系列の私立の小学校に入り三年生の時に京都の府立小学校に転校しました。京都ではいじめられたりいじめたり、いろいろな思い出がありますが、嵐山電鉄に乗って御室小学校、中学は双ヶ丘という素敵な環境でした。
ところがまたもや転校で今度は長野へ、当時は雪も多く女子生徒はみなスラックス?を履いているところに京都のスカートの制服を着て行って冷たい目で見られました。
担任の先生がまた怖い先生、取り付く島も無い先生、笑ったことあるのかっていう先生で本当に辛かったです。それが二年生でクラス替えがあり、私は六組になりました。
担任の先生が山崎先生、生徒は秀才タイプからガータク(やサクレタイプ)、女の子もスポーツウーマンからわたしのような運動音痴まで、色々。それがとても素敵なクラスでした。先生はもちろんのことみんなが暖かくて、そのままドラマになりそうな出来事もいっぱいありました。
私は高校で東京の寮に入ってしまいましたが、休みには長野に戻り、みんなと集まりました、実家が東京に移ってからは、たまにしか参加できませんでしたが、五五歳の時になぜか知らせがあった中学の同窓会に出席した後、クラス会で集まりました。
そのあと集まったのが私が猫八襲名ツアーで北野文芸座に出た時、夜みんなで集まり、参加できなかった一番の出世頭の人形作家の高橋まゆみさんも仲良しだったので翌日友達に人形館まで連れて行ってもらいました。
今回九月十四日に学級委員長だった小川君から公民館での講演と落語のお仕事をもらい、そこに先生をはじめ八人の同級生が駆けつけてくださり、夜の同級会は十人集まりました。誰が来るのかメンバー教えてとお願いしたところ全員下の名前だけが書いてあり、それでもわかることに笑ってしまいました。
そのあと貰った名簿を見ても全員顔が浮かぶことにまた更なる感動でした。わたしには故郷はないと思っていたのですがあんな素晴らしいクラスの思い出を今も共有できる仲間がいることを誇りに思います、そしてやっぱり噺家になってよかったなあと思います。
卒業後五十四年経って、先生はわたしたちより十六歳違いだったという事も初めて知りましたが、いま写真で並ぶとほとんど違いがありません。
今度は先生の米寿のお祝いで集まろうという事になりました。