世界中の日系の方々に落語を 

9月に乗船した第80回ピースボートで急遽ドミニカ共和国の日系の方々の前で落語をする機会を与えてもらいました。

今まで、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、そしてハワイ(日系人向けのラジオ)で口演をさせていただいてきましたが、ドミニカ共和国には初めて行きました。正直言って、ドミニカの日系の方々に思いを馳せたことも有りませんでした。
外国に入植して一生懸命生きてこられた方々の御苦労は並々ならぬものですが、ドミニカ共和国の方々は、一時は『棄民』という言葉で報道されたことも有るほど、日本政府の甘言に翻弄されそして見放されたと感じるほどのひどい待遇の中で戦ってこられました。ドミニカ共和国への移民は、一九五六年(私の生まれた年です)にドミニカ政府が農業開発の為に日本人移民を受け入れるという条約を日本政府との間に締結したことにより、当時の日本海外協会連合会(現・国際協力機構)によって、3年の間「18ha(東京ドーム四個分の面積)の土地の無償譲渡」や「入植予定地は中程度の肥沃度」など、他の中南米諸国と比べても破格の好条件を謳って募集、全国から応募者が殺到し、鹿児島県出身者を主とした249家族1319人の方々が移住したそうです。
けれども、実際には日本政府によって約束されていた面積の約三割の土地しか与えられず、その土地は塩が噴き出るような土地、または岩や石だらけの荒地でした。また、隣のハイチとの国境近くの入植地へは、囚人までもが送り込まれ、24時間政府の役人による監視の下に置かれるなど、移住者の間で「地獄の一丁目」と名付けられるほどだったと資料にも載っています。日本とドミニカ共和国の両政府によって決められていた「日本からの移住者には耕作権だけしか与えない」ということも日本政府が発表した募集要項には一切記載されていなかったうえ、当時の駐ドミニカ大使も、現地の水問題と塩害が多発している事実を把握していたことを隠していたのです。一方のドミニカ政府も、日系移民をハイチからの侵入者を防止する為の国境警備に使い、同時に荒地の開発にも利用することを意図しており、日本政府もその事実を知っていたそうで、結局四十七家族二七六人以外は他の国への入植や日本にまた帰るという決断をされたのです。そんなお話を聞いたところで、落語『雑排』と南京玉すだれをお楽しみいただきましたが、もっとたっぷり交流したうえでお聴き頂きたかったなあと少しだけ残念でした。

世界中にはたくさんの日本人が入植し、日本人ならではの勤勉さ、きめ細やかな技術、努力、根性でそれぞれの日系社会を築いておいでです。そんな方々にお会いして落語を聴いていただきたいなあと、新たな希望が生まれました。
一世・二世の方々でないと、言葉の問題も出てくるので早くしなければと思いますが、何分こればかりは私一人の力では海を渡ることが出来ません。またピースボートにお願いしなければ!

世界の日系人
ブラジル・アメリカ合衆国・ペルー・カナダ・アルゼンチン・オーストラリア・メキシコ・パラグアイ・ボリビア・チリ・コロンビア・ドミニカ共和国・キューバ・ベネズエラ・ウルグアイ・エクアドル
(赤が菊千代が行ったことがあるところ、緑は落語したところです)